ひとりごと(170):カワサキがハーレーを引き下ろし全米No1に! とはいっても過去に協力関係があった

下記のYoutube動画で、Kawasakiのアメリカでの足跡がわかります。

【海外の反応】カワサキが全米No1に!?アメリカの王ハーレーを玉座から引き下ろしたのはヤマハでもホンダでもなくカワサキだった理由とは!?

この動画を公開したユーチューバーは知らないのかもしれませんが、過去にkawasakiとハーレーには、切っても切り離せない協力関係がありました。

バイク乗りの間では、「ハーレーか、国産(和製アメリカン)か」という議論が絶えませんが、実は今のハーレーが存在しているのは、日本のカワサキ(川崎重工業)のおかげだったという歴史をご存知でしょうか?

今回は、ライバル関係を超えた「メーカー間の友情」と、知られざる技術支援の裏側を紐解きます。

1. ハーレー絶体絶命の危機を救ったのはカワサキだった?

1970年代から80年代にかけて、ハーレーダビッドソンは深刻な経営不振に陥っていました。当時は品質低下が激しく、「ハーレーといえばオイル漏れと故障」と言われるほど。

そんな倒産寸前のハーレーを救ったのが、実はカワサキでした。

当時、カワサキは金銭的な支援だけでなく、実務面でハーレーを支えました。

  • 製造技術の提供: 伝説的な「エボリューション・エンジン」の精度を高めるため、カワサキが製造ノウハウを共有したと言われています。
  • 工場の維持: ハーレーが独立・再建する際、生産体制を整えるためにカワサキが陰で尽力しました。

2. ハーレーの代名詞「ベルトドライブ」のルーツ

ハーレーといえば、静かでメンテナンス性の高い「ベルトドライブ」が特徴ですが、この技術の普及にもカワサキの影があります。

1980年、カワサキは世界に先駆けて高耐久ケブラー芯線を用いたベルトドライブ車「KZ440 LTD」を市場に投入しました。

当時、自社開発の余力がなかったハーレーに対し、カワサキが米国サプライヤー(ゲイツ社)と共に培ったテストデータや信頼性のノウハウが橋渡しされたという説が有力です。

今のハーレーの「あの走り」を支えているのは、実は日本の技術だったのかもしれません。

3. 舞台はネブラスカ工場:アメリカの地で手を取り合った両社

この救済劇の主役となったのが、カワサキのネブラスカ工場(リンカーン工場)です。

1974年に設立されたこの工場は、日本のバイクメーカーとして初めて米国内で生産を開始した聖地。

  • 貿易摩擦の回避: 日本車への風当たりが強かった時代、カワサキは「米国内で雇用を生むメーカー」として、ハーレーと共存する道を選びました。
  • KPS(カワサキ・プロダクション・システム)の伝授: 効率的な日本式の生産管理術を、ネブラスカ工場を通じてハーレー側が学んだことも、復活の大きな要因となりました。

まとめ:ライバルであり、戦友。

かつて販売台数でハーレーを脅かし、全米を席巻したカワサキ。しかし、彼らが選んだのはライバルを叩き潰すことではなく、「アメリカの象徴」を守るために手を差し伸べることでした。

もしあの時、カワサキが助けていなければ、今のハーレーはこの世になかったかもしれません。

そんな歴史的背景を知ると、いつものツーリングで見るハーレーとカワサキの姿が、少し違って見えてきませんか?

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